度重なる奇跡の連続を迎え、
この度、
地元・沖縄の
「北中城村観光大使」
に任命を頂きました。
北中城村は
沖縄本島中部に位置しており、
豊かな自然とカフェが多い
イメージがあります。
世界遺産もいくつかあるのですが、
どちらかといえば、
観光客が行く場所というよりは、
地元の人が訪れる印象です。
北中城村観光大使に任命されてから、
それまでは
あまり訪れたことがなかった北中城村が
なぜだか
自分の命のルーツに関係がある気がして、
祖母に歴史をたくさん聴きました。
そして、
なんと、
わかったことが・・・
↑北中城村の資料を配布用に頂きました!
わたくしが
「護佐丸」の子孫である
ということ!!!
護佐丸(ごさまる)は、
琉球王国時代の有権者です。
沖縄の歴史では、
護佐丸は、同じく有力者の
阿麻和利(あまわり)と
勝連城にて争ったといわれています。
史実がどうかは不明ばかりですが、
(歴史書にも詳しくは書かれておらず)
祖母から聞いた話によると、
護佐丸は
琉球王朝に忠実な家臣だったことから、
阿麻和利とは争わずに、
忠誠を示すために自害したそうです。
以下、祖母からの話↓
「でも、護佐丸には
三男坊のモリチカがいたわけさ〜。
阿麻和利の乱の時に、
唯一逃げて生き残ったって。
盛親(モリチカ)のモリ(盛)が、
ばぁちゃんのお父さんの名前にも
受け継がれていて、
ばぁちゃんのところの先祖だから、
小さいころはよく
手を合わせに勝連城に行ったよ〜」
証拠・・・!
ということで、
沖縄県から神戸まで
戸籍を取り寄せました_φ( ̄ー ̄ )
↑祖母の戸籍です。
祖母は沖縄戦のため、
疎開先のフィリピンで生まれました。
祖母の父の名前に、
「盛」という字が入っています!
その先は・・・
結論から言えば、
沖縄戦による「戸籍焼失」のため・・・
曽祖母より前の先祖は載っておらず、
コレしか証拠を発見できませんでした(涙)。
そして、こちらは曽祖父の戸籍。
悲しい事実ですが、
わたしはこのことも書かなければなりません。
理由はわからないけれど、
書かなきゃいけないという
使命のようなものを感じています。
曽祖父は、沖縄戦で亡くなりました。
防空壕にいた人のために
自ら率先して水を汲みに行ったそうで、
ちょうどその時、
爆撃に遭い、木っ端微塵に。
遺体がなかったので、
曽祖母はその場所の石を持ち帰り、
骨壷に入れてお墓に入れたそうです。
曽祖父の名前は、
今も沖縄本島南部の平和の礎に
刻まれています。
沖縄戦は事実上、
1945年6月23日に終わりました。
曾祖母は戦後、
一人で7人の子を育て、結果、
わたしも世を受けることができました。
このことを考えると、
「お腹いっぱい~」と言えることが
「今日は疲れた~」と言えることが
どれだけ幸せなことか痛感します。
命のルーツを調べようと思ったのには、
実はもう1つのサインがありました。
母が見せてくれた一枚の写真。
左側は曽曽祖母の妹さんです。
お顔をお見せしたいくらい・・・!
仙人のような雰囲気を持つ女性。
目からすごいパワー!!!
「この人、どんな人か知ってる?
今も生きてる?」
なぜか猛烈な興味が湧き・・・
祖母に尋ねる運びとなりました。
聞けば聞くほど、
人生のありとあらゆるドラマが素晴らしく、
あぁ素晴らしきかな、人生
の気持ちを実感しました。
しかも、
完璧な「宇宙の采配」によって、
わたしは命のルーツを
知ることとなったのです。
母に写真を見せてもらった
↓
初めて勝連城(護佐丸ゆかりの地)を訪れる
↓
北中城観光大使に任命される
↓
なぜか命のルーツに興味
↓
護佐丸の子孫ということが発覚
ホント
うまく出来ているなぁ
(感心)。
そうそう。
勝連城は世界遺産です!
展望がとても素晴らしい場所です。
沖縄にいたら、
ついサンダルを履いてしまいますが、
靴がオススメです(笑)
美しい石壁。
どうやってこんなに調和を取ったのでしょう。
眺めが最高にいいです^^
江戸時代よりも長く続いた
琉球王国の歴史的なお城に、
こうして立つことはとても不思議です。
大きなガジュマルの下に
神人の腰掛けがありました。
わたしは
人生の半分を沖縄で過ごしました。
少しずつではありますが、
北中城村だけでなく、
沖縄のあれこれをご紹介できたら
と思っています^^
↑Pay Love Projectの愛のポストカード♡inヒルトン沖縄
長い間、
沖縄で考えていたことは、
「何のために生まれてきたのだろう?」
でした。
過去を見ては
意味を見出そうと必死になりました。
意味がなかったわけではありません。
意味はありました。
でも、
今はその自問はしていません。
そんなことを考える余裕がないからです。
なぜなら・・・
「今、自分に
出来ることは何だろう?」
と目の前のことに、
全力で努力を重ねているからです。
それが本当に楽しくて仕方がない・・・!
わたしは未来をみ続けるでしょう。
良い予想をしながら
良い予想を的中させ、
成長と貢献の日々を生きるでしょう。
いつもありがとうございます。
今後とも
どうぞよろしくお願い申し上げます。
北中城村観光大使
国際平和活動家
Yumi Chalarie