Short Story

【Short Story】「人生最悪の日」が「人生最高の日」③「第二の関門」

これまでのストーリー
①「人生最悪の日」
②「第一の関門」


 

「第二の関門」に比べると、
「第一の関門」は易しかった。

吸収すればよかっただけだったから。

 

 

 

 

「第二の関門」

わたしは猛烈で強烈な
「孤独」「寂しさ」を味わった。

 

「友だちに、会いたい」

 

それまでのわたしには、
文字通り「友だち」がすべてだった。

世界は、友だちと遊ぶことを中心に回っていた。

 

 

自慢じゃないけど、
と本来は枕詞を置くべきかもしれないが、
今も「大事な宝物」なので、

自慢なのだけど、にしておく。

 

 

転校直前、

わたしは30人以上から
個人的に「手紙」をもらった。

 

そのうちの10人くらいとは、
その後「文通」が続いた。

 

(当時、
インターネットは今ほど気軽ではなかったし、
LINEなんてものも存在せず、

コミュニケーションを取ろうと思うなら、

「会う」「手紙を書く」
「電話でほんの少し話す」

くらいしか方法がなかったのだ)

 

 

その一つ一つが、
嬉しくて、嬉しくて、

わたしを励まし、勇気づけ、
乗り越える力を与えてくれた。

 

 

泣きながら何度も何度も読んだ。

 

 

けれど、長くは持たなかった。

 

日を重ねるごとに、
手紙の内容は「懐かしさ」に変わっていった。

 

 

「○○が〜したんだよ!信じられる?」

どんどん、
わたしの知らない世界が増えていく。

 

 

 

ただ、つらかった。

 

 

 

ただ、前の生活に戻りたかった。

 

 

 

 

「わたしの居場所は東京にある。
どうして沖縄に来てしまったのだろう」

 

毎日、後悔して、泣いて暮らした。

 

 

 

 

 

「人生の攻略」
(「第二の関門」の解説)

「第二の関門」は「孤独」で、
その中には複数の課題があった。

「自分の感情と向き合うこと」
「自分の感情をコントロールすること」
「孤独を乗り越えること」
「今に幸せを見出すこと」
「今を受け入れること」

 

大人でさえ、
このような深いテーマを抱えている人は多く、
今、第三者の目線で考えてみても、
13歳の無知な女の子にとっては
厳しい試練だったように思う。

 

 

大人になった今のわたしが、
この時の自分に出会ったら、
なんて言えるだろう?

と考えてみる。

 

「元気出して、あなたは変われる」

そんなありふれた言葉を、
受け止められる器があっただろうか?

 

 

「今に幸せを見出して!」

そう声をかけたところで、
わたしは何も信じられなかったし、
きっと受け入れること
できなかったと思う。

 

 

どんな物語にも「順序」がある。

 

完璧な采配で、ステージがUPしていく。

 

誰かに言われて人生が変わっているなら、
この関門には手助けしてくれる人がいて、
手解きしてくれたはずだ。

 

実際、そうではなかった。

 

つまり、

わたしは一人で乗り越える必要があったのだ。

 

 

一人ならば、いやでも
「自分と向き合うしかない」

 

自分と向き合って、
わたしは何を得たかったのか?

厳しさがなければ、
「本当に大切なもの」
「自分の感情」「心の弱さ」
に気付けない。

 

わたしの魂は、こう望んだはずだ。

「人の力になりたいから、
人を思いやる人になろう。

そのために必要なのは、
自分を思いやること。
心を知ること。
乗り越えること。
強くなること。

だから、こんなミッションを与えよう♪」

 

 

ステージは徐々にアップしていくもの。

 

「第一の関門」を乗り越えられたから、
「第二の関門」を出現させられた。

 

今だからこのように言語化し、
自分の気持ちを振り返ることができ、

しかも、整理できるだけでなく、
「方法」を知っているが、

「今だから」であって、
「当時」は全く思いつきもしなかった。

だから、苦しかったのだ。

 

「恐れ」「不安」
「未知のもの」
に対処するには、
それが「何であるか」
特定することから始める。

 

感情を言語化することは
「気持ちの整理」につながるし、
心と頭を納得させることができる。

 

 

「ああすればよかった」
と今はまったく思っていない。

 

この日々があったからこそ、
わたしは「強くなれた」。

 

苦しみの中にも「歓びの種」がある。

 

 

わたしの人生史は、
自分自身の魂が描いたシナリオとはいえ、
「苦しかった日々」の方が多く、

傷も闇も深いために、
こうして思い出して書くだけでも、
苦虫を潰すような思いがする。

 

 

しかし、
「自分が追体験をするため」に、
「誰かに共感してもらうため」に、
書いているわけではない。

 

タイトルを思い出して欲しい。

 

 

 

 

どんな物事にも終わりと始まり、
底と天井があるように、
物語にも起承転結の流れがある。

 

わたしがこの後、
どうやって人生を挽回し、
「人生最悪の日」を「人生最高の日」へ
変えていったのか、が見どころだ。

 

魂は、あらかじめ
人生を設計して生まれてくる。

 

人生は「自作自演」のドラマであり、

「脚本家」
「演じる俳優」
「環境」
「シュチュエーション」
「キャスト」

すべて自分自身が用意したもの

わたしたちは「体験」するために
この地球に生まれてきたのだ。

 


↑ボリュームタップリの沖縄そばにビックリ!!!

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、
ありがとうございます!