人生は時に、
大打撃的な難題を投げかけてくる。
その時、人の反応は決まっている。
落ち込み、絶望感に浸り、
悔やんだり嘆いたりする。
そう、ネガティブな反応だ。
「なぜこんな目に・・・」
「どうしてこんなことが起こり得るのか?」
なぜ?
なぜ?
・・・なぜ?
かつて私はナゼナゼ病だった。
何かにつけて
「何故?どうして?」と理由を欲しがった。
しかし、残念ながら、
人生が与えてくれたもののほとんどは、
その答えではなかった。
鬱、疲弊感、病気、不幸せなどの
心身の不調和だった。
人にはその人のパターンがある。
ある一定の条件が揃うと、
そのパターンにハマり、
同じ気持ちを味わうことになる。
私は自分のナゼナゼ病に気づいてから、
もうやめよう、と決めた。
なぜなら、
「なぜあの人はあんなことをするんだろう?」
「どうして私はこんな気持ちになるんだろう?」
ナゼナゼ病を発症した時、
私は決まってイヤな気分になったからだ。
これは、
自分の本当の望みではない方へ
向かっていることを示している。
感情は「魂の羅針盤」で、
ネガティブな気持ちは、
自分の望みと逆をいってるよ〜
と教えてくれるナビの役割があるからだ。
私は、今もナゼナゼが完全になくなったわけではない。
ある種のパターンというのは、
人格の一部のようで、
思考グセという言葉では片付けられないような
根深さがあると思う。
けれども、
そのクセが出たとしても、ハッと気づき、
その後の選択肢を選ぶことができる。
感情を野放しにしない。
手綱は私が握るのだ。
すぐにはできなくても、
気持ちを改めようと決めることができる。
パターンを認識することで、
そのパターンから抜け出すことができるのだ。
トンネルを歩いていて光が見えたら、
とりあえずヒカリの方へ進むように。
ヒカリの方へ進んでいたら、
いずれヒカリに到達することができる。
困難なことが人生に訪れた時、
たいていの人はそこで諦めてしまう。
こんなことが起こるなんておかしい
私は恵まれないんだ、
生まれつきだから仕方ない、
私には越えられない、無理だ、
不運な生まれだ、ナドナド。
しかし、
それは人生が欲しがっている答えじゃない。
あなたのポテンシャルを
人生はそんなに低く見積もっていない。
むしろ、人生は、
その困難を乗り越えたら
さらに強くなるからという
「自分のレベルに合わせた乗り越えられるテスト」
を与えているのだから。
人生における大打撃は、
本当は困難ではない。
障害でもない。
祝福だ。
次の最高へとつながる知らせだ。
それを理解することに努め、信じ、
信じ続けた時、
本当に「祝福」だったことがわかるだろう。
最悪な出来事は、
最高な人生へと続いていることは、
歴史上のあらゆる人物をみても、わかるはずだ。
アインシュタインは学生時代に落第した。
成績は悪く、大学は退学。その後、
20世紀最大の天才になった。
ベートヴェンは難聴になってから
歓喜の曲「第九」を作成した。
エジソンは1,000回の発明を経て、
ついに光を人類にもたらした。
7度の失敗、5度の破産を経験して、
自動車の会社を成功させた
ヘンリー・フォード。
チャップリンの父はアル中で死去、
母は精神病にかかり、
孤児院や貧民院を転々として暮らした後、
喜劇の王、脚本家として活躍。
まだまだいる。
調べてみてほしい。
世界は、あなたを中心に動くのだから。