今日、神戸はスッキリとした青空が拡がった。
歩きながら、ふと思った。
「不自由を選べるほど、わたしたちは自由だ」
改めて、自分が観る世界を省みる。
わたしはどれだけカルマを昇華し、どれだけ徳を積めているのだろうか。
人生史をめくってみれば、散々なことがたくさんあった。
「私の頭の中の消しゴム」という韓国映画が昔あったが、わたしには消しゴムで消したいと何度も思った過去がある。
それにも関わらず、皮肉なもので、もはやトラウマ化した記憶がページを何度もめくり返した。
消されるどころか、より鮮明に強烈になっていった。
当時、頼れる人もいなかったし、頼りたい人もいなかった。
消化方法さえ全く見当がつかず、わたしは独りで白黒の世界でもがくしかなかった。
ある夏、そんな世界に一筋の「希望」をみつけた。
うだるような暑さで太陽を呪いながら、目を伏せた瞬間、目が留まったのだ。
そこには、アスファルトに咲いている白い花がいた。
なぜかわからないが、その瞬間、涙がこぼれた。
「こんな小さな花でも、こんな環境で咲くんだ」
信じられないくらい、わたしは泣いた。
それから、花が好きになった。
それまでも好きだったが、もっと好きになった。

先日、椿の絵を描いた。
・・・赤い椿の花言葉は「謙虚な美徳」らしい。
古代の哲学者アリストテレスは、美徳に関して
「優秀さは訓練と習慣の賜物である。
私たちは美徳と優秀さを持っているから正しく行動するのではない、むしろ正しく行動するから美徳と優秀さを持つ事ができるのである」
と残している。
まったくその通りだと、今ならよくわかる。
「与えたものが返ってくる」
蒔いた種は、いつか刈り取らなければならない。
わたしは今後も過去の罪を昇華していくだろう。
そしてプラスマイナスゼロとなった暁には、人徳者への道を歩めるはずだと信じている。
過去は悔いるためにあるのでも、苦しむためにあるのでもない。
学びとして振り返るためにある。
「過ぎ去った」と書いて、「過去」だ。
すべてのものは過ぎ去る。過去になっていく。
悔しければ、二度とその過ちを繰り返さないように精進することだ。
自分を責めていても、過去は変わらないのだから。
今から自分が精進していくしかないのだ。

花はだれの力も頼らず、生きている。
信じられないほど暑くても、寒くても、どうしてこんな運命なのかと花は呪うだろうか?
いや、きっと違うだろう。
花を見れば、それはわかる。
だってこんなに美しいのだもの。
美しいものには芯がある。
信念の「芯」がある。
花はきっと自分の過去や訪れる未来について、一喜一憂したりしないだろう。
花はだれの力もあてにしていない。
わたしたち人間も、他者や時代をあてにせず、自分を信じて成長しようではないか。
一番信じるべきは「自分自身」である。
「いい人生だった」と言える人生史を、記し続けよう。
そう言える人生を、わたしはもっとつくっていきたい。
