①「人生最悪の日」 続き
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沖縄での生活は、
全くというほど慣れなかった。
あまりに東京との差があり過ぎた。
今まで難しい問いに答えたことはなく、
むしろ勉強はほぼせず、
遊ぶことしか頭になかったのに、
突然、「第一の関門」がわたしを襲った。
転入初日、
動物園の動物を眺めるように、
「転入生」であるわたしを
他のクラスの子たちが覗きにきていた。
「わたしは見せ物じゃないのに」
目を合わせたくなくて
目線を移した瞬間、
色黒の男子が、突如わたしに話しかけた。
「ヤー、ナイチャーカ?」
「?????(中国語?)」
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(沖縄の方言を初めてまともに聞いた時、
本当に「中国語?」と思ったのだ)
「第一の関門」
それは、「言語」の違いだった。
沖縄の方言をほとんど理解できなかったのだ。
でも、わからなかったら聞けばいい。
だってわたしは共通語だし、
みんなはわたしのことばを
理解できるはずだ。
そう思っていたが、
ある日、間違いだと気づいた。
なんと、わたしの標準語は
「カッコつけている」
と思われていたのだ。
カッコつけているどころか、
色々分からなすぎて
「目立たないように」していたのに。
その日から、会話の観察をし、
方言の意味を聞き、
イントネーションの特訓を始めた。
真似ると、クラスの子に通じた。
それはありがたいことだった。
休日は祖母に聞いた。
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ピンチはチャンス。
第一関門は一応、
くぐり抜けることができたように思えた。
記憶している限り、
沖縄の話し方の習得は、
わたしが生まれて初めて、
「自ら習得した学び」だと言える。
*余談にはなるが、
クラスメイトの「みさき」ちゃんの発音が、
3文字の真ん中にアクセントで、
どうしても慣れずに発音できず、
結局、その子の名前を
呼ぶことができずに卒業した。
現在は、
大体の方言は今も理解できるが、
自分自身、あまり性に合わず、
基本的な話し方は今も標準語スタイルだ。
わたしは自分のスタイルが気に入っている。
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→ ③「第二の関門」