Short Story

【Short Story】「人生最悪の日」が「人生最高の日」②「第一の関門」

①「人生最悪の日」 続き

 


 

沖縄での生活は、
全くというほど慣れなかった。

あまりに東京との差があり過ぎた。

 

今まで難しい問いに答えたことはなく、
むしろ勉強はほぼせず、
遊ぶことしか頭になかったのに、

突然、「第一の関門」がわたしを襲った。

 

転入初日、
動物園の動物を眺めるように、
「転入生」であるわたしを
他のクラスの子たちが覗きにきていた。

 

「わたしは見せ物じゃないのに」

 

目を合わせたくなくて
目線を移した瞬間、
色黒の男子が、突如わたしに話しかけた。

 

「ヤー、ナイチャーカ?」

 

「?????(中国語?)」

 

(沖縄の方言を初めてまともに聞いた時、
本当に「中国語?」と思ったのだ)

 

「第一の関門」

それは、「言語」の違いだった。

 

沖縄の方言をほとんど理解できなかったのだ。

 

でも、わからなかったら聞けばいい。

だってわたしは共通語だし、
みんなはわたしのことばを
理解できるはずだ。

 

そう思っていたが、
ある日、間違いだと気づいた。

 

なんと、わたしの標準語は

「カッコつけている」

と思われていたのだ。

 

カッコつけているどころか、
色々分からなすぎて
「目立たないように」していたのに。

 

その日から、会話の観察をし、
方言の意味を聞き、
イントネーションの特訓を始めた。

 

真似ると、クラスの子に通じた。

それはありがたいことだった。

 

休日は祖母に聞いた。

 

ピンチはチャンス。

 

第一関門は一応、
くぐり抜けることができたように思えた。

 

記憶している限り、
沖縄の話し方の習得は、
わたしが生まれて初めて、
「自ら習得した学び」だと言える。

 

 

*余談にはなるが、
クラスメイトの「みさき」ちゃんの発音が、
3文字の真ん中にアクセントで、

どうしても慣れずに発音できず、

結局、その子の名前を
呼ぶことができずに卒業した。

 

現在は、

大体の方言は今も理解できるが、
自分自身、あまり性に合わず、
基本的な話し方は今も標準語スタイルだ。

 

わたしは自分のスタイルが気に入っている。

 

③「第二の関門」